自由研究(小耳症手術レポート)とお母様の手記

学校の自由研究「知ってほしいな!ボクの耳。」

5 月2 8 日(日) 入院2 1 日目退院
退院日

小耳症患者様のH君が学校の自由研究課題で自身が体験した小耳症手術についてのレポートと、お母様の手記をご紹介します。
H君は、昨年5月に成田富里徳洲会病院で、小耳症手術の1回目『肋軟骨移植術』を行い、今年2月に、2回目手術『耳介挙上術(耳立て手術)』を終えられました。

レポートは1回目の手術『肋軟骨移植術』をするための入院、手術、退院までの様子が日記形式で綴られています。手術前後の患者様の心境から、術後の痛みや体が回復していくまでのリアルな様子を知ることができるレポートです。

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知ってほしいな!ボクの耳。

はじめに

ぼくの右耳は、生まれつき小さくて耳の穴(がいじどう)もふさがっている、小耳症です。今年5月、右耳の形成手術を受けました。
自分の経験をもとに、色んな人に小耳症について知ってもらいたいと思い、このテーマを選びました。

小耳症とは・・・

耳介が産まれつき小さい、もしくは、けっそんしているしっかんです。
小耳症は形態の問題だけではありません。聴力にも影響し、なんちょうになることがあります。
遺伝性は明らかではなく、家族内発生は数パーセントです。
日本人における発生ひんどは6000人~10000人に1人で、おうべいしょこくより高いそうです。

ぼくは、右耳がふさがっていますが、左耳は形態も聴力も正常なので生活に支障はありません。
小耳症にも人それぞれ個人差がある様です。
ぼくの問題点は、幼稚園~小学2年生頃まで右耳が小さいことで、マスクのゴムを耳にひっかけることができませんでした。左右のゴムの後ろにゴムをつないで頭のうしろでとめていました。
しかし、耳も体の成長とともに小耳症側の耳も他の人よりは小さいですが、大きくなりました。
小学3年生ぐらいから、細いゴムのマスクであれば耳にひっかけることができるようになりました。

知ってほしいな。ぼくの耳-3
治療について・・・

手術による、じかい形成です。手術の方法も専門の先生によって方法が違うのですが、一般的には10歳ごろに複数回の手術をしてじかいを形成します。
主に、「ろくなんこつを用いた耳形態のフレーム作成」と「じかい皮膚の再建」の2つから構成されます。ろくなんこつ移植術では、じかいの形を作るために柔らかく形成可能なろっこつのなんこつを使用します。

簡単に説明すると、1回目の手術では自分のろくなんこつを取ってフレームを作り、耳の形を作ります。この時点ではまだ耳の形はできますが、ペタンとくっついているような状態です。
そして最低半年以上あけて、2回目の手術をします。そこでまたろくなんこつを取ってその耳を起き上がらせるという手術をします。

なぜ10歳ごろに手術をするの?

耳の成長は10歳ごろまでに成人とほぼ同じ大きさになります。左右を同じ大きさにするためには、もう片方の耳がしっかりと成長していないといけません。それと十分ななんこつを採取できるまでの体の成長も必要だからです。年をとりすぎてもなんこつの柔軟性が失われてしまい、フレーム形成できなくなってしまうので遅くなるのもよくないそうです。
治療に対しても、本人が理解して体勢を動かしたりできることも理由であるそうです。

知ってほしいな。ぼくの耳-5

ぼくの1回目手術と入院生活

2023年5月8日(月)入院1日目

千葉県にある成田富里とくしゅう会病院に入院。まずは形成外科の中島先生の診察を受けて、頭に紫色マジックで線がかかれました。小児科の診察もして、採血をしたり、レントゲンや心電図をとったり、手術前のぼくの健康チェックをしてもらいました。

午後から病室に案内されて、いよいよ入院。
ぼくが過ごすことになった部屋は7階の特別室765号室。
ソファーも大きなテレビあって、お風呂もあった。お母さん用の折り畳みベッドもあった。
看護師さんが来て、午前中に中島先生がかいた紫色の線の通りに手術する側の髪の毛をそって、ぼくは半分だけ坊主になった。
中島先生は手術前の写真を沢山とったり、ぼくの左耳を反転させた右耳のデザインがかかれているシートに合わせて赤色マジックで耳の形をかいてくれた。

麻酔科の森田先生も来て、手術の麻酔について説明をしてくれた。全身麻酔というのは自分で呼吸をするのも忘れるぐらいに深い眠りに入ってしまうから、人工呼吸器をいれると言っていた。
深い眠りに入ったら、腰から痛み止めのチューブを入れる。神経に当たってしまうとしびれやまひが残ってしまうこともあるみたいなのですごく難しい技術だと言っていた。ちょっと不安だった。この日は21時ころに寝た。

ぼくの1回目手術と入院生活
2023年5月8日(月)入院1日目
5月9日(火)入院2日目 手術当日

看護師さんから7時までしか水を飲めないと言われていたので水分をとった。
腕の点滴を打つところに麻酔のテープを貼りにきたり、いよいよ手術だと思うとドキドキした。9時前に看護師さん、お母さんと一緒に手術室へ向かった。
他の人が通らない別のルートのエレベーターを使って下へ降りた。
地獄の扉の様に思えて今でも忘れられない。
手術は9時ころから始まって終わったのは17時ころだったようだ。
お母さんは手術室のすぐ近くの待合室で朝から何も食べずに8時間待ってくれていたみたい。
ぼくが麻酔から目を覚ましたのは18時ころだと言っていた。ぼんやりした。
酸素マスクは20時まで付けておかないといけなかった。人工呼吸器を付けていたから、
くちびるとのどの乾燥がすごくてカラカラだった。
酸素マスクを外したあとも喉がカスカスで、ほとんど声が出なかった。
右耳の周りには大きなスポンジと、頭はネットをかぶっていてぼくはタマネギみたいになっていた。
麻酔科の先生も病室に来てくれて、痛み止めの説明をしてくれた。
バルーンジェクターという腰からいれている痛み止めの薬は、ボタンがあってカチッと1回押すとチューブを通って体内に入ると言っていて1回押したら30分は押せないような仕組みになっていた。
ぼくの体には点滴や、心電図モニター、パルスオキシメーターそして痛み止めのバルーンジェクター。沢山のチューブがつながれていた。
声が全然出なくてつらかったけど、なぜかご飯はその日の夜からしっかり食べることができた。何とか立ち上がることができたけど、ゆっくり歩くのも大変だった。夜中にたんがからんですごく苦しかったけど、ろくなんこつを取っているので胸が痛くてせきをすることができなくて、本当に苦しかった。
何度も痛みがあって、この日はあまり眠れなかった。お母さんがずっと付きそってくれた。

2023年5月9日(月)入院2日目手術当日
5 月1 0 日(水) 入院3日目

朝は食欲がなくて、りんごを少し食べた。
麻酔科の森田先生が朝一番に来てくれて、これからの痛み止めと飲み薬の説明をしてくれた。
飲み薬で効果があれば腰にさしてある痛み止め用のチューブは外せることができると言ってい
た。9 時からこうせいざいの点滴をした。
お昼ご飯の後から痛み止め(アセトアミノフェン5 0 0 m g)を飲み始めた。
リハビリの先生も来て、これからのスケジュールを教えてくれた。
思うようには全然体が動かせないけど、今日はトイレまではしっかり歩いて、なるべく背中を丸めないように意識しましょうと言っていた。昨日手術をしたばかりなのに、動かさないと動けなくなるからと言われて、なかなかスパルタだなと思った。お昼ご飯を食べたあとは少し昼寝をした。

中島先生と看護師さんがきて、傷の処置をしてくれた。
ろっこつの傷口の血が中にたまらないように外に出すためのチューブも抜いた。これは痛くなかった。
右耳もガーゼを外して傷の様子をチェックして、ゲンタシンという塗り薬をたっぷり塗った。
ぼくはまだこわくて耳や傷を見ることはできなかったけど、お母さんは「すごくきれいになってる!」と言ってくれたので少し安心した。


お母さんが担任の〇〇先生に電話をしてくれて、明日まではお休みをすることになった。
あいかわらず声がカスカスで少し微熱があるけど、体調はまずまず。
麻酔科の森田先生が、声が出しづらいのは痛みでうまく深呼吸ができていないことが原因だから、ろっこつの痛みがおさまってきたら普通に戻ってくるだろうと教えてくれた。
2 1 時に朝と一緒のこうせいざいの点滴をした。
夜中はうまく寝返りができなくて、お母さんに手伝ってもらっていた。

2023年5月10日入院3日目
5 月1 1 日(木) 入院4日目

朝4 時ころ大きな音でスマホの地震アラームが鳴った。成田市は震度2 で、特に揺れなかった。
声のカスカスは昨日よりは少しだけよくなった気がした。
今日まで学校のリモート授業はお休みにしてもらってあった。
リハビリがてらにお母さんと病室を出て、廊下を歩いてまだもう少し行けそうだったのでエレベーターに乗って、1 階の売店まで散歩をした。その途中に、地獄の扉を見かけてあの日を思い出した。

今日も傷の処置をしてもらって、昼寝をしたり、本を読んだりのんびりと過ごした。
腕に刺さっていた点滴の針も抜いてもらった。
こうせいざいの飲み薬(セファレキシン2 5 0) を飲み始めた。

担任の一先生と明日からスタートするリモート授業にむけて、ZOOM の接続テストをしてもらった。
声はカスカスだけど、先生にぼくの顔はみせることもできた。
今日は痛み止めのボタンを一回も押さずに過ごせた。
夜もよく寝た。

2023年5月11日入院4日目
5 月1 2日(金) 入院5日目

声がだいぶ出るようになってきた。
今日からリモートで授業に参加。声は出しにくいから大変だけど、朝の会で久しぶ
りにクラスの友達の顔をみれてうれしかった。
1 限目は算数でみんなはテストだったので、
そのあいだに〇〇先生が休んでいた授業で進んだところを説明してくれた。
今日は書写と音楽にも参加した。音楽はリモートだとなかなか聞こえづらかった。

休み時間はパンをかじりながら漢字を進めたりした。
入院中はいつもはきびしいお母さんが優しかった。

ろっこつの痛みがかなりおさまっているので、
腰のチューブを抜いてもらった。くまとゴリラを合わせたような麻酔科の森田先生。
優しくて、ぼくの痛みを早くとってくれたすごい先生だった。
チューブがとれて、体が軽くなった。
リハビリもしたし、今日もエレベーターに乗って売店にも行った。


今日は看護師さんが右耳をぬらさない様にシャンプーもしてくれた。
きょうから腰から下のシャワーもできた。
夜はお父さんとビデオ通話もできた!

2023年5月12日入院5日目
5月13日(土) 入院6日目

今日は学校が休みなので、病院を散歩したり、リハビリもがんばった。

5月13日(土) 入院6日目

5月14日(日) 入院7日目

今日も学校は休みなので昨日教えてもらったリハビリをしたり、友達とオンラインゲームをして過ごした。痛みはそこまでひどくないけど、筋力がかなり落ちている。ちゃんと体力が戻るか心配な気持ちになった。

今日もいつもと同じ処置をしてもらった。もうすぐ胸の傷の抜糸をすると言っていた。

明日から小耳症の女の子がまた1人入院してくるらしい。

5 月1 5 日(月) 入院8日目

今日は朝から地獄の採血。痛みもだいぶよくなってきたので、痛み止めの飲み薬は痛いときだけでいいよと言われた。リモート授業も目は疲れるけどなかなかなれてきた。微熱は時々あるけど、元気にもなってきた。

5 月1 6 日(火) 入院9日目

今日もリモート授業、リハビリ。
今日は中島先生と一緒にぼくの手術をしてくれた丸山先生も診察にきてくれた。
今日はこの前入院してきた小耳症の女の子の手術だったみたい。
ぼくの経過も順調だと言われて、退院後もスポーツも普通にしてもいいよと言ってくれた。
時間がたったら骨もしっかりしてくるからと言っていた。うれしかった。

今までろっこつのところが痛くてあくびができなかったけど、できるようになった。バスケ仲間の人に入院前にもらったフットトレーニンググッズを使ってみた。ジャンプが全然できなかった。

5月15日(月)	入院8日目
5月17日(水)   入院10日目

今日もリモート授業といつもと同じ。
麻酔科の森田先生が久しぶりに来てくれた。昨日手術をした女の子も声が出にくくなっていると言っていた。やっぱり他の子もぼくと同じなんだなと思って少し安心した。
今日でこうせいざいの飲み薬が飲み終わった。

5月17日(水) 入院10日目
5月18日(木)   入院11日目

リモート授業、リハビリ。
胸の傷のテープがはがれてきていたので先生に言ったら、本当は明日予定だった胸の抜糸をもう今日してもらった。全然痛くなかったから良かった。
傷の上に茶色のテープをたてに4枚と横に1枚はってくれた。
これをきちんとすると傷あとが残りにくいと言っていた。

5月19日(金)   入院12日目

リモート授業、リハビリ。 今日はペットボトルを使ったトレーニングをした。やっぱりまだ微熱が続いている。調子は悪くない。ちょっと部屋が暑いのかも

5月19日(金)	入院12日目
5月20日(土)   入院13日目

今日はぼくのミニバスチームの試合の日だった。
試合の合間にビデオ通話をしてくれた。
久しぶりにみんなの顔が見れて、うれしかった!
早くみんなとバスケがしたいな。

5月20日(土)	入院13日目
5月21日(日) 入院14日目

熱が少しづつ平熱になってきた。
学校の授業がない日はひまになってきた。
今日もリハビリをしたり、散歩をしたりのんびり過ごした。
ずっと外に出ていないけど、病室の大きな窓から外は見ていた。病院の目の前にスーパーがあった。お昼ごろになると車が沢山とまっていた。

5月21日(日)入院14日目
5月22日(月)    入院15日目

今日からまたリモート授業。熱もなく、元気に過ごせた。

5月23日(火)   入院16日目

今日はリモート授業が終わってから、耳のガーゼのところの周りだけ抜糸をした。痛くなかった。手術をしてから、ぼくはまだ自分の耳を見ていなかったけど、元々なかったものが作られていて、すごくきれいに出来上がっていて、とてもビックリした。

今までは腰から下のシャワーだったけど、今日から首から下のシャワーの許可が出た。
シャワーが最高に気持ちよかった!
今日は久しぶりに夜中にろっこつのところが痛くなったので痛み止めを飲んだ。

5月23日(火)	入院16日目
5 月2 4 日(水) 入院1 7 日目

今日のリハビリはトレーニング室に行った。色んなトレーニングマシンがあった。
それと今日は家から持ってきていたバスケットボールでハンドリングをしてみた。
夜にくしゃみをしたらろっこつが痛くなったので痛み止めを飲んだ。

5 月2 4 日(水) 入院1 7 日目
5 月2 5 日(木) 入院1 8 日目

今日は検査があった。
耳も抜糸をまたした。内側はまだ糸が残っていているけど、ちょっとずつ退院が近づいてきた。明日は処置の時間までにスポンジとガーゼをとって、お風呂できれいに洗っておいてねと言われた。最近動けるようになってきたから寝ているときに動いてしまって、ろっこつが痛くなってしまう。

5 月2 5 日(木) 入院1 8 日目
5 月2 6 日(金) 入院1 9 日目

今日はうれしいお知らせがあった。退院予定日は2 9 日だったけど、順調だから1 日早く退院できることになった!お母さんのご飯が食べれるから嬉しい。〇〇先生にも来週の月曜日から登校できますと言ったら、良かったですと言ってもらえた。今日が最後のリモート授業だった。

処置の前にスポンジとガーゼを外して、お母さんがぼくの右耳をきれいに洗ってくれた。しみたり痛みは全くなくて、不思議な感覚だった。2 週間しか経っていないのに、こんなにきれいに治ってくる人間の再生力と医療技術ってすごいなと思った。今日も少し抜糸をした。
夜に千葉で地震があって、揺れてこわかったけど、病院は安全ですという放送が流れた。
ちゃんと家に帰れるか不安になった。

5 月2 7 日(土) 入院2 0 日目

今日はお世話になった先生と看護師さんへのお礼のお手紙を書いた。明日で退院だと思うとちょっとさびしい気持ちになった。中島先生は明日はお休みの日だから、会えるのは今日で最後だった。最後に残りの抜糸をして、退院した後の処置の仕方をお母さんが聞いてくれた。これからは写真をメールで送って診察をしてもらうことになった。

中島先生とお世話になった看護師さんたちがぼくの病室に集まってきてくれて、みんなで写真をとった。また1 年後に2 回目の手術をするからその時にまた待ってるねと言ってくれてうれしかった。

すご腕の先生たちと、優しくて親切な看護師さんばかりで安心してぼくは入院ができた。ここの病院では沢山の小耳症の手術をしているから、これから手術を受ける子へのメッセージも書いた。

明日で退院!

5 月2 7 日(土) 入院2 0 日目
5 月2 8 日(日) 入院2 1 日目退院

今日は5 : 5 0 に起きた。
朝起きて、お母さんに3 週間つきそってくれてありがとうと言った。
カスカスだった声もやっと普通に戻ってきた。
お父さんが迎えに来てくれて1 0 時ころに退院した。
ぼくの入院生活は終わった。やっばり家はサイコーだった!

ぼくの手術をしてくれた丸山先生、中島先生、森田先生、看護
師のみなさん、お父さんお母さんありがとう!

5 月2 8 日(日) 入院2 1 日目退院
5 月2 8 日(日) 入院2 1 日目退院
ボクの耳のその後

3D カメラでぼくの左耳を撮影して、左耳と対称になるように自分のろくなんこつを使ってフレームを作ってもらいました。

これがぼくの右耳の中に入っています。ろくなんこつをとったけど、ちゃんと再生されるらしいです。人間ってすごい!

まとめ

退院して次の日から学校へ登校することができた。退院3 日後からバスケも少しずつ始めた。全然走れなかったし、階段の上り下りや少しのことでろっこつが痛くなったので痛み止めを飲んだりして痛みとうまく付き合ってきた。
手術と長い入院生活でかなり体力が落ちてしまい、戻すのが本当に大変だったけど、今ではバスケの試合も出れるようになりました。
初めての手術と入院を経験して、沢山つらいこともあったけど、ぼくになかった右耳をとってもきれいに作ってもらうことができて感動しました。

ぼく1 人だけのためにリモート授業をしてくれた先生たちや、周りの人たちに感謝の気持ちでいっぱいです。
来年、2 回目の耳をたてる手術をする予定です。頑張ります!

小耳症はあまり知られていないかもしれないけど、ぼくみたいに他の人と違うところがあってもいいと思います。
先生たちが作ってくれた自慢のぼくの右耳をこれから一生大切にしていきたいと思っています。

沢山の人に、知ってほしいな!ボクの耳。

お母様の手記