第30回菊池寛ジュニア賞(小学生の部) 受賞作文

『ぼくの宝物』

故・永田悟医師が生前に手術を行った小耳症患者様、中村雄星さん(小6)が、 ご自身が受けた小耳症手術(永田法)について作文を執筆しました。その作文を『第30回菊池寛ジュニア賞※小学生の部』に応募したところ、優秀賞を受賞されたとご報告をいただきました。ご本人と親御さんのご厚意により、全文を掲載させていただきます。
※香川県高松市内の小中学生を対象にした文筆作品公募

第30回菊池寛ジュニア賞小学生の部

ぼくの宝物

 中村 雄星

 みなさんの宝物はなんですか。ぼくの宝物は二度の形成手術で新しくできた左耳です。

ぼくは、生まれつき左耳形成不全(小耳症)で左耳がないので、メガネもマスクもふつうにつけられません。だから、お母さんに頭からかぶるマスクを作ってもらい、それを使っていました。かみの毛も耳がかくれるように少し長めにしていました。ぼくは野球をしているので、みんなみたいに坊主にしてみたいなとずっと思っていました。そして、去年の夏と今年の一月の二度の形成手術を受ける予約を二才の時にしました。

手術は埼玉県にある小耳症の形成手術専門のクリニックでしました。一回の手術で一か月入院して、これを二回しました。そのときもコロナウイルスがとても流行していたので、面会は家族で一人だけしか来られず、しかも一日三十分だけでした。手術は全身ますいで、だいたい七、八時間かかりました。ぼくは痛さよりも、さみしさとの戦いの方がつらかったです。毎日家族のみんなに電話をしたり、本を読んだりしてさみしさにたえました。そうしているうちに、入院している他の子もぼくと同じくさみしい気持ちなのではないかと思い、今日はあの子に、明日はあの子にと、どんどん他の子に声をかけ、みんなと友達になっていきました。手術終わった後痛かったよねと話したり、みんなで勉強やゲームをしたりして毎日過ごしていくと、さみしいと思うことがなくなっていきました。

ずっと手術した耳は包帯をしていたので、できた耳を見られるのは退院の二日前です。先生が合わせ鏡を病室まで持って来てくれたので、できた耳を見ることができました。初めてできた耳を見た時は、とても感動して自然となみだが出てきて人生初のうれし泣きをしました。ぼくは先生に、「生まれてきて今までで一番うれしいです。」と言いました。

先生は、「よかったね。大事な耳をこれからもずっと大切にしてね。」と言いました。こんなにきれいな耳を作ってくれた先生は、ぼくの人生を変えてくれた恩人です。手術の後、二日に一回は先生が耳を消毒して包帯をまいてくれました。先生は患者一人一人の耳をとても大切にしているのだと思いました。

先生は手術の後の事も、とても考えてくれていました。まず二度の手術で、耳のわく組になる骨を肋骨の軟骨から取りました。ふつう肋骨を取ると、胸がへこんだ感じになるらしいです。でもぼくの胸は、左右どちらもへこんでいません。それどころか胸をぬわない治りょう法なので、傷も目立ちません。先生のような手術のできる人は世界中でも少ししかいないらしいです。

入院中も外国の人がいました。みんな先生の手術を受けるために日本に来ているのだと思いました。この手術の方法は「永田法」といい先生の名前がついていました。お医者さんはただ病気を治すだけではなく、患者一人一人に勇気を与えてくれる人もいるのだなと思いました。

先生のていねいな手術と治りょうのおかげで、ぼくの耳は生まれ変わりました。メガネもマスクもふつうにできます。もちろんずっとやりたかった坊主にすることもできます。入院や手術はつらかったですが、たくさんの友達もできたので、手術を受けてよかったなと思います。そしてぼくは、この耳を作ってくれた先生に恩返しをしたいなと思いました。ぼくができる最大の恩返しは、先生の言う通り「大事なこの耳を一生大切にすること。」だと思います。
毎日大、中、小の三本の筆でていねいにきれいに洗っています。

ぼくの大事な大事な左耳。ぼくの宝物。これからもよろしくねと言いたいです。

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